ドット絵を描くキッカケや生い立ち

おはこんばんにちは。ダイセンです。
ドット歴、Twitter歴ともに4年です。
ドットの素晴らしさを伝えるには想像力と伝達力がない故、今回は自分の事を淡々と書かせて頂きました。
機能美がなく、こういうブログの記事を使いこなせなく、画像もないし文字だけで読みずらいですが、それでも読んでいただけたら幸いです。
内容はドット絵に認識と描く事のキッカケです。
それではどうぞ。


ファミコンをリアル世代で遊んでいました年齢ですが、当時小学生だった自分には「これはドット」という概念はありませんでした。
ドット絵が芸術だと認識したのはプレステ・サターンが登場し3D映像が当たり前になった頃。
あの頃の3D映像はとても綺麗とはいえず、逆にスーファミ後期のドット絵がより美麗に見え、ドットというグラフィックは美しいと感じました。

自分で初めてドット絵を描いてみたのはスーファミの「デザエモン」というシューティングゲームで、グラフィックを自分で作るゲーム。その時1995年だったかと(多分)
自機、敵、弾、アイテム、バリア、背景、全て自分でドットを打って作る根気の塊の様なソフトでした。
ええ、もちろん完成することなく投げました(笑)

正直当時の自分はドット絵は美しいと感じてはいますが、ドット絵を自分で色々表現したいとは思って無かったです。
作る楽しさよりもプレイする楽しさの方が上回っていてそれどころじゃなかったってのもあります。
20年前はスマホでなんでも出来る様なものはなく、ゲームは据え置きメイン。携帯ゲームはゲームボーイかアドバンスとかですからね(笑)

で、そこからTwitterを始めるまでドット絵はおろか、絵すら描いてませんでした。別に描く理由がないと思っていたと思います。

ある日友人から「お前Twitterとかやらんの?」と言われ、
ダイセン「まったく興味なす。」
友人 「とりあえずやってみ。」
ダイセン「えー?」
友人 「つぶやくだけでいいから。」
ダイセン「つぶやく事ないぞ。」
友人 「じゃあなんか絵描いてつぶやくだけでいい。」
ダイセン「なんや、それ儲かるの?」
友人 「儲かる。絶対儲かる!」
ダイセン「じゃあやる。」
こんな理由で2017年10月10日ダイセンTwitterデビュー。
儲かるワケないです。

ドット絵を本格的に描き始めたのはTwitter歴がイコールです。
ドット絵はPCのEDGEというツールで今も愛用しています。
EDGEはドットで描くにあたっての機能が全て揃っていて、色も255色使えるし、キャンバスは4000px×4000pxまで使えるのでほぼほぼ自由に描く事ができます。

Twitter2年くらいで家でドット絵を描く時間が無くなっていき、出先の方が時間が余ってきたのでケータイでドット絵を描けるdotpict!というアプリで「じゃあなんか描くか」という軽い理由がドットピクトを始めたキッカケです(笑)
操作は正直慣れるのに苦労しました。慣れればどうという事はないのですが、続けられるかどうかがここが鬼門ですね。

自分のドット絵は、ファミコンとかゲームとかを思わせる様な雰囲気はなく、ひとつの絵の作品という感じだと思ってます。
アンチエイリアスを駆使しだしたらドット独特の角張った絵面が「いや、これは違う」と自分で否定しだしてドットなのに滑らかにしてしまう。これを良いと思うのかダメだと思うのか見るヒトの自由だし、描く側の自由でもあります。

「ドット絵に見えない」「ドットじゃなくても良くない?」という意見を言うヒトもいますが、それ自体個人が感じただけでしょうし、だからといってドット絵を辞めるかというとそうではないでしょう。
「本物っぽく見えるけどドットだ。」と感じてくれれば勝利かなと個人的に思ってます(笑)
ドットでどう描くか、薄いのか濃いのか、明るいのか暗いのか、白なのか黒なのか、奥なのか手前なのか、この問題を解きながらひとつのキャンバスにドットを置いて完成させるパズルゲーム。
スキル、レベルは全て自分の指先であります。

最後にドット絵は簡単か難しいかというと、簡単であり簡単ではありません。
簡単に描こうとしたら何でも出来ます。これはアナログでもデジタルでも同じです。
「誰々の様に描いてみたい」と思うのなら、それは簡単ではありません。数をこなして自分を磨きあげる必要があるからです。難しいと感じる事があるでしょうが、ドット絵が好きなら難しくありません。楽しいは難しいを上回りますからね。
誰かの憧れも良いですが、誰かにはなれません。自分の作品は自分であり、自分の世界を作ってこそ作品が昇華していきます。
それに気がついた時、既に誰かの憧れになっているでしょう。